こんにちは。のむらです。
しばらく空きましたが、引き続き、このシリーズです。
RBCの話シリーズではありません。
全国のサッカー経験者の方、また、サッカー小僧のご家族、ご友人の方に、
サッカーに打ち込むことで、ビジネスパーソンとしても一流になるための素養
が身につく、というご理解を頂ければ幸いです。
↓過去の記事↓
その1 その2 その3 その4 その5
その6 その7 その8 その9 その10
その11 その12 その13 その14 その15
その16 その17 その18 その19 その20
その21 その22 その23 その24 その25
その26 その27 その28 その29 その30
その31 その32 その33 その34 その35
その36 その37 その38 その39 その40
その41 その42 その43 その44 その45
その46 その47 その48 その49 その50
その51
↑過去の記事↑
■ゼロリセットを経験する
サッカーはとても点の入りにくいスポーツです。
ですから、攻撃をしていても点が入らずに攻撃が終わる、
ということはザラです。
後ろからボールを運んでいって、それで結局やりなおし。
そういうことの繰り返しです。
ですから、常々、リセットを経験することになります。
ただ、もう少し違ったリセットについて今日は触れてみます。
残念ながら、少し汎用的ではないお話です。
私自身の話なのですが、サッカー選手になりたくて、
高校進学の時に、家を出ました。
中学校での成績はそこそこ良かったので、
学校や塾でも、あまり良い顔はされませんでした。
学校や塾の先生は言います。
サッカー選手になれるかどうか分からないのに、
せっかくの成績を捨ててサッカーをしに行くのはリスクだ、もったいない、と。
塾のテストで志望校を書く時に地元の学校をひとつも書かなかったことについて、
「息子さん、ホントにこんなんで良いんですか?」
と、うちの親は言われていたそうです。
※その中で自分のチャレンジを邪魔しないで、
送り出してくれた自分の親にはとても感謝しています。
そして、予想通り、高校に行けば、勉強は殆どしませんでした。
だいたい、集まってきた同級生の殆どは、
「サッカーが終わっちゃうと、人生が終わっちゃう」
みたいな人でした。笑
地元に帰ればそこそこ有名だったりする選手が、
「我こそは」
と、全国から集まってきます。
1学年で80名くらいいましたが、もちろん、全員がメンバーにはなれません。
インターハイは毎年のように出場していたので、
つまり、3年時のインターハイの県予選でベンチ入りできれば、
まぁ、「全国大会出場」という実績で大学には行けるだろう、と、
そういう感じで、あとは、ギリギリそのメンバーになれないくらいの選手でも、
能力的にはそうとうなもんですから、監督のコネのある大学に、
セレクションを受けに行ったり、というのもありました。
もちろん、そこまで至らない選手が過半数なので、
それぞれに、選択をします。
専門学校に行くだとか、あとは、いわゆるFランク大学に行くだとか、
そういう感じが多かったと思います。
私自身も、選手として成功できませんでしたので、
次のことを考える時期がきました。
監督は、自分のコネのある大学のセレクションに行ってみないか?
と、面談の時に打診してくれました。
それは気持ちはたいへん嬉しかったのですが、その場で断りました。
私の中で、18で成功できなければ終わりと決めていたので、
その場では、「大学に行くなら受験して入ります」と言いました。
ただ、口ではそう言ったものの実は、
そこまでちゃんと考えていたわけではなくて、(笑)
ただただ人生をリセットすることだけを決めていました。
中学の時に、「自分の成績を見て何となく進路を決める」
みたいな考え方を否定したわけですが、
今度は、「サッカーの能力をつかって何となく進路を決める」
みたいな考え方も否定してみたわけです。
実家に戻ってからあれこれと考えた結果、
次は文芸を学問として認めている大学に行こう、ということで、
結果としては立教大学の文学部に進学しました。
もちろん、一度リセットしてしまった脳ミソからのスタートだったので、
成績の急上昇は必要だったわけですが。。。笑
ただ、こうやってリセットしてみても、全く問題はない。
というか、中学校の頃にやれリスクだ何だと言っていた教師よりは、
偏差値の高い大学に行くことになったわけですから、
実際には彼らの論理からいっても何の問題もなかったです。
こうやって書いてしまうと、あっさりしたものですが、
もちろん、「あぁ、もうサッカー選手としてはおしまいだな」
と思った時は、それはそれはショックだったわけです。
なんといっても、他人からどうこう言われるということではなくて、
自分がもうダメだと思っちゃっているわけですから、
立っている拠り所が無いんですね。
ただ、そうやってリセットしてみた体験があると、
失敗を恐れるとかいうことはあまりなくなります。
今ぐらいの年齢になって感じるのですが、
リセット経験をせずに、育った人は、
チャレンジする前に失敗を怖がることが多いです。
ちょうど、自分が中学の時に見たオトナたちのように。
正確にいうと、リセットしたことが無いので、
リセットになることを全力で避けようとする、という感じです。
いわゆる優等生、エリート、という感じの方は、
そういうパターンが多く、
ただ、新しいものを世の中に生み出そうとするならば、
そのようなリセット恐怖症は、とても邪魔になります。
もちろん、痛みを伴わないリセットというのはありませんから、
ひたすら勧めると無責任だと言われるとも思いますが、
それでも、やっぱりありがたい経験だとは思います。
サッカー選手を目指せば、おそらく、どんな選手でも、
それこそプロになっても、リセットの日はやってきます。
そして、多くの人には比較的若くしてその日はやってきます。
18歳でそういう経験ができたことが、
私にとってはとても大きな力になっています。
本当によかったと思います。
自分がサッカーに打ち込んだことに感謝しています。
RBCへの会員登録は今すぐこちらから
明日は樋口くんです。
こんにちは。のむらです。
今日は、いつものシリーズではありません。
RBCの話シリーズでもありません。
最近、良い例えが思い浮かびました。
飛行機が離陸する時は、走行スピードを上げます。
あるスピードを超えて、機体が浮きます。
しかしながら、例えば、スピードを半分にして、
走行距離を倍にしたら、機体が浮くかというと、
そうはいきません。
機体を浮かせるには、スピードを上げることが必要なのです。
ビジネスの立ち上げでも、これは同じことが言えます。
仕事量が一定以上あれば立ち上がるかというと、
得てして、そうはいきません。
スピードはとても重要です。
スピードが無いチームでは、立ち上げはいつまでたってもできません。
この例えは常に頭に入れておきたいと思いました。
RBCへの会員登録は今すぐこちらから
明日は船津くんです。
こんにちは。のむらです。
今日は、いつものシリーズではありません。
RBCの話シリーズでもありません。
たまに、
「簡単に言えないのは分かってない証拠だ」と、文句を言っている人がいます。
得てして、
文句を言っている人にとって、理解が難しい話を聞いた時に、
「もっと簡単に言え」
というケースでつかわれます。
確かに、クレームとしては、そのまんまなのですが、
場合分けを考えると、聞き手にとってよく分からないからと言って、
話し手が本質を理解していないとは限りません。
というのも、
事実としては、
・聞き手が内容を理解できていない
という、それ以上でもそれ以下でもありません。
この場合、
→話し手が本質を理解していないために、説明に問題がある、
というのは確かにひとつの可能性ですが、
→聞き手にあまりにも知識がなさすぎる為に、理解ができない、
ということもあります。
前者のケースは、本質を理解して説明の仕方を変えれば良いかも知れませんが、
後者の場合は、そうはいきません。
分かっていないのは、
「説明する内容の本質」ではなくて、
「聞き手がどんな知識を持っているか」です。
仮に、かなり本質を捉えてシンプルに説明したとしても、
聞き手が前提となる知識が足りなさすぎることで難解になっていることもあります。
にも関わらず、一律に、
「簡単に言えないから分かってないのだ」
と怒られると、
「そんなはずはない」
と言って、
話のわかりやすさに関する争いというのは、
こういうパターンで起きている気がします。
この争いが生まれるパターンが見えると、
何を問題とすべきか?
がより正確になってくるので、
無用な怒りを抑えることができます。
是非、そういうクレームが出てきた時には、確認してみてください。
落ち着いて対処できるのではないでしょうか?
RBCへの会員登録は今すぐこちらから
明日は船津くんです。
こんにちは。のむらです。
今日は、いつものシリーズではありません。
RBCの話シリーズでもありません。
Tumblrからの転載です。
ちょっと前に、有限性と無限性の話を某所でやりました。
有限概念とか無限概念とか言われたりする、あの議論です。
実は、私たちは常に有限概念の奴隷になっているものでして、
有限概念下のものしかそもそも認知できないですし、
それこそ、ひとつの言葉や意味を与える時点でかなり有限概念を
利用していることになります。
個人の有限性はひとりひとり違っています。
例えば、お金の話で考えてみましょう。
「私はお金が無くって、、、」
みたいなことを言う人がいます。
この時、「財布の中に入ってる現金」を指して言っている場合、
その人の可処分所得に関する有限性は自分の財布ということになります。
ここに有限性の壁を持っています。
しかし、ある人は、
「友達の持っているお金も、正当な理由があれば自分でつかえる」
と思っているかも知れません。
そういう人の場合、可処分所得に関する有限性は、
「自分と自分の友達が持っているお金」
というところに壁があるわけです。
更に、上場企業の経営者ともなると、
世の中から資金調達をして事業をしているわけですから、
友達ということではなく、
「自社の投資家が投じたお金」であり、
「自社に投資される可能性のあるお金」までが、
可処分所得の有限性に関する壁なわけです。
※厳密に、所得という概念でないのはもちろんですが、単純化して言っています。
この3つのケースだけ見ても、既に、有限性は全然違います。
実は、これは本人にとっては「当たり前」なので、意識しないのですが、
それだけに、あまり話題にされません。
そして、ここで重要な事実を挙げてしまうと、
私たちの住んでいる世界はどうやら無限概念で出来上がっているっぽいです。
そう、私たちの側は勝手に有限概念で世界を見て、
あーだこーだと悩んだり、思考や発想の限界をつくっていますが、
それは、世界そのものの姿からすると、既に間違っている。正しくないです。
あらゆる法則や定理、知識を私たちはさも世界を正確に表したもののように語ります。
そうやって世界を理解したつもりになります。
しかしながら、知識になるということは、大前提が有限概念ですから、
もう、どんなに修正しても必ず間違っています。
私たちがよくやってしまう間違いは、
「技術革新が絶対に起きない」
という前提条件を置いてしまうことです。
例えば、「太陽エネルギーは核融合反応なので、永遠ではない」
みたいなことを言われると、「そうだよね」となるのですが、
この「そうだよね」にはたくさんの有限概念が混ざっています。
いくつか考えてみると、
まず、「太陽を外部から制御できるようになる可能性」
というのを完全に否定しています。
この壁を超えると、既にこの話は間違いになります。
また、「太陽の代替となるものを生み出す」という可能性も否定しています。
私たちが「これは間違いないだろう」と思っている知識も、
根本が有限概念によって成り立っているので、
無意識に信じているある条件がずれたらすぐに間違いになります。
にも関わらず、やれ定量的だの論理的だのと言って、
あたかも世界を正確に表しているかのような誤解をしています。
しかも、そういう言説を言う側も言われる側も同じように間違っているので、
これで会話が成立してしまいます。
世界そのものは無限概念で出来上がっているのであれば、
その一部となる私たちも本当は無限概念の一部。故に無限性があるわけです。
無限の一部は無限。というか、一部という切り取り方が間違ってるのですが、
有限でないと私たちは観測ができないのでこういう表現をつかってしまいます。
なので、みんなが信じている有限概念というのは、ちょっとずつ、
誰かの手によって「それってホントは間違ってるね」と、
あっさりとその壁を壊されてしまいます。
こういうことが無限に繰り返されるとしたら、
私たちの住んでいる世界は、ちょっとずつではありますが、
必ず良くなることになっています。
まぁ、この話はやりだすと、あらゆる知識は間違ってるっていう証明を
それこそ無限に語れてしまうのですが、それはそれとして、
明日の世界は今日よりも何かが良くなっている。
先月よりも今月は何かが良くなっている。
有限性の壁は毎日どこかで壊れています。
また、自分もたくさんの有限性の壁を持っていますけど、
それはすぐに壊すことができる。
壊したところで誰も困らない。
いやむしろ、壊さないから自分が困ってる。
自分に影響を与えている知識や情報にはどんな有限性が含まれているか?
そういうことを見つめてみると、ちょっとずつ自分が良くなります。
勉強するとバカになるというのは、この意味においては正しいと思います。
知識や情報として固定的に語れるものが増えるということは、
自分に刷り込まれた有限性が増えているわけですから。
ホントは、自分はちょっとずつどんどん大きくなれます。
が、仮にどんどん勉強してバカになって有限性と無能感が強まったところで、
世の中は全体では、逆の意味でのバカによってちょっとずつ有限性の壁が壊されます。
だから、生きてるだけでも、ちょっとずつ良い世の中に生きられるようになっていきます。
良いことですね。
RBCへの会員登録は今すぐこちらから
明日は船津くんです。
こんにちは。のむらです。
今日は、いつものシリーズではありません。
RBCの話シリーズでもありません。
Tumblrからの転載です。
ちょっと、とても書けないようなVIPとの出会いがあったのと、他のことを合わせて、
備忘録のようなことを書いてみます。
私たちは日々、色々な表現をしています。
絵画や彫刻をつくっていれば大掛かりなものですが、
そうでもない場合でも、それなりの表現をしています。
例えば、こうやってネット上に記事を書いたり、というのもそうでしょうし、
Twitterでつぶやいたり、ごはんの写真を撮ってそれを世界中に晒すとか、
そういうこともあります。
もっと身近に、誰かと会って話をするとか、
そもそも、服を着て人がいる場に出ていくだとか、
もう、表現しないで生きているということは殆どありません。
意識しようがしまいが、何らかの表現をしながら生きています。
その中で、良い表現というのと、そうでもない表現というのがあります。
もう少し正確に言うならば、
その表現が何かの感動を生むかどうか?
というのが良いと言えるかの境目じゃないかと思います。
そういうことを踏まえた上で、、、
さて、ある質問に対して、どう答えるか?
答えを考える時には、内容はもちろん大事ですから、
その答えの内容、ストーリーはそれはそれで考える必要があります。
ただ、それでおしまいではなくて、
それをいかに良い表現で言えるか?というのが、
実は、答えの効果を考えると半分以上大事じゃないかと思うのです。
それを考えるきっかけになった質問と回答を書けないのがもどかしいですが、
色々考えた上で、表現はシンプルかつシャープに。
なかなかシンプルでもシャープでも無い説明になってしまいますが。。汗
ただ、
立ち位置として、「あなたを幸せにする、感動させるのが私です」というところから
回答を考え、表現を考え抜けば、そうそうハズレは無いでしょう。
あなたの役に立つ。
あなたに喜んで頂く
あなたを幸せにする。
あなたに安心して頂く。
あなたを楽しませる。
私はあなたのために全力を尽くします。
と、こういう立ち位置から考える表現、
表現そのものは知識やスキルによって仕上げられるかも知れませんが、
その土台となるマインドによって、良い表現が生まれるかが決まると思います。
ですから、そういうマインドでいることが結果的に
良い表現をつかえるようになる第一歩なのだと思います。
良い表現は、良い結果への階段になるでしょう。
あなたの人生において。
RBCへの会員登録は今すぐこちらから
明日は船津くんです。
こんにちは。のむらです。
今日は、いつものシリーズではありません。
RBCの話シリーズでもありません。
Tumblrからの転載です。
ある時、こんな質問がありました。
「たまにですが、自分の生き方はこれで良いのか?
って不安になることがあります。
そういう時にどう対処しますか?」
その時は時間がなかったのでかなり端折った回答をしましたが、
その話をしてみます。
例えば、
凄くスケジュールがいっぱいだったりする時の帰宅途中とか、
「忙しく動きまわってるけど、これは幸せと言えるんだろうか?」
なんて感じたり。
誰かからの誘いを断ることになった時に、
「ホントにこの優先順位で良いんだろうか?」
と思ったり。
自分と違うことをやっている人を見た時に
「あんな風になれたら良いな、羨ましいな」
と口にしたり。
生き方に関する悩みというのは、ちょっとした隙にやってきます。
だいたいにして、ちょっとした隙にしか現れないものでもあります。
さて、何で私たちはこのちょっとした悩みに悶々とすることがあるのでしょう?
結論を言ってしまうと、
「どこかに正解があると思っているから」
です。
悩みの180度反対側には「正解、正義、常識」といったものがあります。
例えば、髪が減って頭が禿げてきたのを悩みとした場合、
その反対側には「フサフサに頭髪がある状態」があるわけでして、
それがその人にとっての「正解」だから悩みが生れます。
この正解というか常識を否定してみると、禿げていることは悩みではありません。
それこそ、「生まれたままの姿に戻った」と思えば、何も問題ありません。
(かくいう私も、父親も祖父も禿げたので「いつか生まれたままの姿に戻るだろう」という想定はしています。)
話を戻して、
世の中にはたくさんの生き方があります。
厳密な意味では、ひとりとして同じ生き方の人はいません。
「正しい」という字は一つに止まると書きますが、
正しいものであれば2つも3つもありません。
つまり、正しい生き方というのはどこにも無いのです。
シンプルに言えば、全ての人の生き方は間違っているのです。
どうやったって間違いなのです。全部間違いなのです。
全てが間違ってると分かると、正解を探すことに意味はありません。
ですから、生き方に悩むというのは意味がないのです。
全く悩む必要がありません。
思えば、人類の思想史を見れば、
常に次の世代が前の世代の思想を覆し、
そうやって人は生きてきました。
どんな偉人だって、どんな有名人だって、
どんなに尊敬している人だって、どんなに頼りになる人だって、
真面目に見えようが、いい加減に見えようが、
みんな、生き方は間違いなんです。
なんて単純なんでしょう。
RBCへの会員登録は今すぐこちらから
明日は船津くんです。
こんにちは。のむらです。
今日は、いつものシリーズではありません。
RBCの話シリーズでもありません。
Tumblrからの転載です。
「情」というのは常々、深い言葉だと味わっています。
漢字の意味をみてみると、、、
りっしんべんなので心のこと。
また、青は「せい」という音を表し、
清や請の意味を持つそうです。
求める心。
一方で、「性」は先天的な心であるのに対して、
「情」は後天的な、外部への刺激に応じる心であると言われます。
さて、
「苦楽を共にする」という言葉があります。
が、
実際に、そういうことは殆どありません。
一生においてこの後天的な心のはたらきによって、
苦労を共にできる人というのはそうそういません。
逆に、楽を共にできる人というのは、
いくらでも増えていきます。
楽を与えることができると、
自分の周りにはどんどん人が集まってきます。
※嫌だと言っても集まってきます。みんな友だちだと言ってきます。
多少、悩んだりした時に声をかける人もありますが、
「トータルで考えれば楽」
という想定のもとに、声をかけてくれます。
それは、
綺麗な言い方をすれば、期待とも言えます。
その意味で、自分の周りにたくさんの人を集めるには、
ともかく楽を与えることです。
もしくは、楽を与える期待をされること。
それが人を集める唯一にして普遍的な方法です。
しかし、この構造を真面目に考えると、
「結局は欲と打算以外の何ものでもない関係じゃないか」
となります。
そうです。
その通り。
「情」というのが後天的であることもありますが、
苦労を共にしてくれる友だちなんてものは、
元々いないのです。
人にそんな能力は先天的には無いのです。
もし、自分が人知れず苦しい思いをしていても、
それを分かってくれる人がいないと感じても、
特別なことでは無いのです。
だから
自分には友達がいないだとか、
人徳がないんじゃないかとか、
人に大事にされてないんじゃないかとか、
落ち込むことはありません。
それが元々の状態なのです。
もし、一生という時間の中で、
苦労ばっかり共にして、
そもそもそれをよく分かっていても、
それでも一緒にいてくれるような人がいるのなら、
それが本当にありがたいことなんです。
そんな出会いは一生に一度あるかどうかです。
だから、もしそういう人がいたら、
大事にしなくちゃいけません。
それはきっと、自分がずっと苦労してでも大事にする価値があります。
それが「情」で繋がった関係だと思います。
外部要因でしか得られない関係でありながら、
しかし、筋の通った関係でもありません。
もし孤独を感じても、情のある友というのはそれだけ得難いものであって、
一生かけての宝探しなんだから、と、
慌てないでいるのが大事だと思います。
RBCへの会員登録は今すぐこちらから
明日は初登場の船津くんです。
こんにちは。のむらです。
今日は、いつものシリーズではありません。
RBCの話シリーズでもありません。
20世紀の終わり頃に普及し始めたインターネットが、
21世紀では、電気や水道のようになりつつあります。
それによって何が変わるでしょうか?
情報の流通コストが大きく下がります。
結果として、
情報そのものが流通量が増えます
また、
情報が流通するスピードも上がります
そうなると、
「情報を持っていること」
の価値はだんだん少なくなっていきます。
例えば、
経営戦略やマーケティング知識というのが
20世紀であれば、かなり特権階級と言えたような面がありました。
が、今はあまりそれらの情報が足りなさすぎることがボトルネックになることは
そうそうありません。
勝負は「知っていること」から「やったこと」に変わっているのです。
また、
「均質的であること」
の価値もどんどん少なくなっていきます。
いわゆるジェネラリストです。
というのが、予定通りに事業が遂行される場合には、
ひと通りのことが平均的にできたほうが計算がしやすいのですが、
計画がどんどん変更されていくような事業が中心になってくると、
尖った部分のある人を組み合わせたほうが良いものが生まれやすいです。
情報の流通スピードが早いと、均質的なものの価値が落ちるスピードも早く、
ある程度尖った部分を持っておかないと、情報の流通スピードに、
事業の遂行がどんどん追い越されてしまいます。
あのAppleをして、最近のプレゼンテーションは、ユーザの期待を超えられなく
なってしまっています。
※個人的には、あの内緒にしておくマーケティング手法が既に時代遅れに
なっていると思います。
ジョブズ不在は関係ないです。単に、古いやり方に固執してるのが問題だと思います。
「古くなる」のが早いのです。
なので、「ちょっと違う」くらいは、もう、差別化のうちに入らないのです。
そうすると、私たちは、20世紀的な価値観で評価していた人材像というのを
疑うどころか否定しなければならない段階にきています。
世の中全体がそれに気づくのは、勝負がついた頃です。
大多数の人は、負けるまで、失敗するまで学習しません。
もしそこが少しでも意識できたとしたら、
あなたにはこの変化についていく資質があるのかも知れません。
そうでなければ、次の世代の活躍を指をくわえて眺めていれば良いと思います。
私自身、そうならないよう、常に先の先を見ながら行動し続けていきます。
ビジネスクリエーターとして成長するための場、
RBCへの会員登録は今すぐこちらから
明日は友部くんです。
こんにちは。のむらです。
今日は、いつものシリーズではありません。
RBCの話シリーズでもありません。
個人差があることではありますが、
お悩み相談のような場面を迎えることがあります。
自分が質問を受ける場合もあれば、
そういうやりとりを見かける場合もあります。
何か問いが立てられた場合、
何が問題(考えるポイント・「悪いこと」という意味ではない)なのかを明確にします。
問題が明確になっている場合、
あとは問題の解法はいくつかの選択肢があります。
選択肢の中で最も相手に合うものを考えます。
そこでひとつの解法だけを伝える。
これは、正しい方法かも知れませんが、
必ずしも効果的ではない場合があります。
つまり、問題を明確にして選択肢を洗い出した上で、
相手に合いそうな選択を与えても、
それを相手が受け取らない。
そういうことが起こる可能性があります。
そんな時、
洗い出した選択肢を並べてみます。
その中で最も相手に合わなそうなもので、
しかもお互いの距離が遠い選択肢を2つ選びます。
その2つのうち、最も相手に合わないであろうものを
最初に提示します。
次に、残りの選択肢を示します。
こうして左右に外れた選択肢を2つ示した上で、
相手に最も合いそうな選択肢を出します。
こうすると受け取りやすい場合があります。
2択までの場合、どれも選ばれないことがあるのですが、
3択になると、どれかが選ばれます。
また、行動を変えるとか、新しい行動をするには、
ある種の勢いが必要です。
その為に、キョーレツに外れた選択肢を見せられると、
自分に合った選択肢は意外とカンタンに取り組めそうになる。
相手に受け取りやすくする論法です。
これは実は、ある昔話(記録)で出てきます。
日本史上に残るような極めて賢い方は、
どういう話し方をしたのか?
というのをなぞってみました。
ヒントになれば幸いです。
ビジネスクリエーターとして成長するための場、
RBCへの会員登録は今すぐこちらから
明日は友部くんです。
こんにちは。のむらです。
今日は、いつものシリーズではありません。
RBCの話シリーズでもありません。
今年も時期がきて、会員の皆さまに、プレゼン大会のご案内をしました。
エントリーシートを見ていて、また、
普段の仕事で新規事業のアイディアを聞いたり考えたりが多いのですが、
アイディアに、いくつかの段階があることに気づきました。
今更な感じもしますが、書いておきたいと思います。
まず第一段階は、
「面白いアイディア。良いアイディア。」
と言ってもらえるものです。
これはスタートラインです。
他人に聞かせるアイディアである以上、
面白いとか、良いとか、いけると思うとか、
そう言ってもらえるのは初歩です。
逆に、ここまで到達していないとしたら、
そもそも、人に聞かせる価値もない、ということです。
このレベルのアイディアは、このままではほぼ間違いなく失敗しますので、
再考すべきです。
次に第二段階は、
「あったらつかう。それ、あれば買うよ」
と言ってもらえるものです。
ここでようやく詳細を考える段階です。
ここまで来ているアイディアは、検討を継続してもOKです。
ブラッシュアップしたり、課題を見付け出して解決したり、
ということをしていく価値のあるアイディアです。
その次、第三段階ですが、
「まだ?早く出してよ。すぐ欲しい!」
と言ってもらえるものです。
これは、もう、すぐにでもやるべきです。
多少の問題があってでも、とにかくすぐやる価値のあるアイディアです。
そして更に、第四段階があります。
「タダでも手伝うから早く世に出そう!」
と言ってもらえるものです。
これは、すぐにやる、というか、
自分がやると言わなくても、もう周りが勝手にやり出します。
ビジネスアイディアを聞こうということになると、
まぁ、すごーく秘匿性の高い雰囲気で言われる方も
たまにいるものです。
ただ、そういったご本人の気持はさておき、
アイディア自体がこの中のどの段階のものなのか?
と見ていくと、けっこう、第一段階のものが多いです。
アイディアをこのような段階で考えて検証する。
場合によってはブラッシュアップもあるでしょうし、
多くの場合は捨てたほうが良いでしょう。
そういうことの中から、本当に優れたアイディアが出てくると思います。
プレゼン大会のエントリー含めて、
そういう視点で日々チャレンジを続けると、
本当に力のあるビジネスクリエーターとして成長していくことでしょう。
ビジネスクリエーターとして成長するための場、
RBCへの会員登録は今すぐこちらから
明日は友部くんです。