『何だかんだで世の中はちょっとずつ良くなる』

『何だかんだで世の中はちょっとずつ良くなる』

こんにちは。のむらです。
今日は、いつものシリーズではありません。
RBCの話シリーズでもありません。
Tumblrからの転載です。
ちょっと前に、有限性と無限性の話を某所でやりました。
有限概念とか無限概念とか言われたりする、あの議論です。
実は、私たちは常に有限概念の奴隷になっているものでして、
有限概念下のものしかそもそも認知できないですし、
それこそ、ひとつの言葉や意味を与える時点でかなり有限概念を
利用していることになります。
個人の有限性はひとりひとり違っています。
例えば、お金の話で考えてみましょう。
「私はお金が無くって、、、」
みたいなことを言う人がいます。
この時、「財布の中に入ってる現金」を指して言っている場合、
その人の可処分所得に関する有限性は自分の財布ということになります。
ここに有限性の壁を持っています。
しかし、ある人は、
「友達の持っているお金も、正当な理由があれば自分でつかえる」
と思っているかも知れません。
そういう人の場合、可処分所得に関する有限性は、
「自分と自分の友達が持っているお金」
というところに壁があるわけです。
更に、上場企業の経営者ともなると、
世の中から資金調達をして事業をしているわけですから、
友達ということではなく、
「自社の投資家が投じたお金」であり、
「自社に投資される可能性のあるお金」までが、
可処分所得の有限性に関する壁なわけです。
※厳密に、所得という概念でないのはもちろんですが、単純化して言っています。
この3つのケースだけ見ても、既に、有限性は全然違います。
実は、これは本人にとっては「当たり前」なので、意識しないのですが、
それだけに、あまり話題にされません。
そして、ここで重要な事実を挙げてしまうと、
私たちの住んでいる世界はどうやら無限概念で出来上がっているっぽいです。
そう、私たちの側は勝手に有限概念で世界を見て、
あーだこーだと悩んだり、思考や発想の限界をつくっていますが、
それは、世界そのものの姿からすると、既に間違っている。正しくないです。
あらゆる法則や定理、知識を私たちはさも世界を正確に表したもののように語ります。
そうやって世界を理解したつもりになります。
しかしながら、知識になるということは、大前提が有限概念ですから、
もう、どんなに修正しても必ず間違っています。
私たちがよくやってしまう間違いは、
「技術革新が絶対に起きない」
という前提条件を置いてしまうことです。
例えば、「太陽エネルギーは核融合反応なので、永遠ではない」
みたいなことを言われると、「そうだよね」となるのですが、
この「そうだよね」にはたくさんの有限概念が混ざっています。
いくつか考えてみると、
まず、「太陽を外部から制御できるようになる可能性」
というのを完全に否定しています。
この壁を超えると、既にこの話は間違いになります。
また、「太陽の代替となるものを生み出す」という可能性も否定しています。
私たちが「これは間違いないだろう」と思っている知識も、
根本が有限概念によって成り立っているので、
無意識に信じているある条件がずれたらすぐに間違いになります。
にも関わらず、やれ定量的だの論理的だのと言って、
あたかも世界を正確に表しているかのような誤解をしています。
しかも、そういう言説を言う側も言われる側も同じように間違っているので、
これで会話が成立してしまいます。
世界そのものは無限概念で出来上がっているのであれば、
その一部となる私たちも本当は無限概念の一部。故に無限性があるわけです。
無限の一部は無限。というか、一部という切り取り方が間違ってるのですが、
有限でないと私たちは観測ができないのでこういう表現をつかってしまいます。
なので、みんなが信じている有限概念というのは、ちょっとずつ、
誰かの手によって「それってホントは間違ってるね」と、
あっさりとその壁を壊されてしまいます。
こういうことが無限に繰り返されるとしたら、
私たちの住んでいる世界は、ちょっとずつではありますが、
必ず良くなることになっています。
まぁ、この話はやりだすと、あらゆる知識は間違ってるっていう証明を
それこそ無限に語れてしまうのですが、それはそれとして、
明日の世界は今日よりも何かが良くなっている。
先月よりも今月は何かが良くなっている。
有限性の壁は毎日どこかで壊れています。
また、自分もたくさんの有限性の壁を持っていますけど、
それはすぐに壊すことができる。
壊したところで誰も困らない。
いやむしろ、壊さないから自分が困ってる。
自分に影響を与えている知識や情報にはどんな有限性が含まれているか?
そういうことを見つめてみると、ちょっとずつ自分が良くなります。
勉強するとバカになるというのは、この意味においては正しいと思います。
知識や情報として固定的に語れるものが増えるということは、
自分に刷り込まれた有限性が増えているわけですから。
ホントは、自分はちょっとずつどんどん大きくなれます。
が、仮にどんどん勉強してバカになって有限性と無能感が強まったところで、
世の中は全体では、逆の意味でのバカによってちょっとずつ有限性の壁が壊されます。
だから、生きてるだけでも、ちょっとずつ良い世の中に生きられるようになっていきます。
良いことですね。

RBCへの会員登録は今すぐこちらから
明日は船津くんです。

Nomura