こんにちは。のむらです。
今日は、いつものシリーズではありません。
RBCの話シリーズでもありません。
Tumblrからの転載です。
「情」というのは常々、深い言葉だと味わっています。
漢字の意味をみてみると、、、
りっしんべんなので心のこと。
また、青は「せい」という音を表し、
清や請の意味を持つそうです。
求める心。
一方で、「性」は先天的な心であるのに対して、
「情」は後天的な、外部への刺激に応じる心であると言われます。
さて、
「苦楽を共にする」という言葉があります。
が、
実際に、そういうことは殆どありません。
一生においてこの後天的な心のはたらきによって、
苦労を共にできる人というのはそうそういません。
逆に、楽を共にできる人というのは、
いくらでも増えていきます。
楽を与えることができると、
自分の周りにはどんどん人が集まってきます。
※嫌だと言っても集まってきます。みんな友だちだと言ってきます。
多少、悩んだりした時に声をかける人もありますが、
「トータルで考えれば楽」
という想定のもとに、声をかけてくれます。
それは、
綺麗な言い方をすれば、期待とも言えます。
その意味で、自分の周りにたくさんの人を集めるには、
ともかく楽を与えることです。
もしくは、楽を与える期待をされること。
それが人を集める唯一にして普遍的な方法です。
しかし、この構造を真面目に考えると、
「結局は欲と打算以外の何ものでもない関係じゃないか」
となります。
そうです。
その通り。
「情」というのが後天的であることもありますが、
苦労を共にしてくれる友だちなんてものは、
元々いないのです。
人にそんな能力は先天的には無いのです。
もし、自分が人知れず苦しい思いをしていても、
それを分かってくれる人がいないと感じても、
特別なことでは無いのです。
だから
自分には友達がいないだとか、
人徳がないんじゃないかとか、
人に大事にされてないんじゃないかとか、
落ち込むことはありません。
それが元々の状態なのです。
もし、一生という時間の中で、
苦労ばっかり共にして、
そもそもそれをよく分かっていても、
それでも一緒にいてくれるような人がいるのなら、
それが本当にありがたいことなんです。
そんな出会いは一生に一度あるかどうかです。
だから、もしそういう人がいたら、
大事にしなくちゃいけません。
それはきっと、自分がずっと苦労してでも大事にする価値があります。
それが「情」で繋がった関係だと思います。
外部要因でしか得られない関係でありながら、
しかし、筋の通った関係でもありません。
もし孤独を感じても、情のある友というのはそれだけ得難いものであって、
一生かけての宝探しなんだから、と、
慌てないでいるのが大事だと思います。
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