「愛」と日本人

「愛」と日本人

こんにちは。小沢です。
昨日、とある場所で「愛」に関する本を2冊紹介してもらいました。
ひとつは日本人の著者が書いた複雑で様々な形の愛を取り扱ったもの。
もうひとつは、アメリカ人の著者が書いた愛について書いたもの。
どちらも愛がその本の中での重要な役割になっているのですが、
日本人の著者が書いた本の中の愛は、愛する対象も形も様々で色々な感情が混ざり愛を表現しています。
一方、アメリカ人の著者が書いた本の中では、愛する対象=家族、友人と非常に単純で、もっともそれが著者にとって重要であると言い切っています。
この2冊を単純比較することは無茶ぶりかもしれませんが、知り合いの方がこんなことを言っていました。
日本人に「愛」という概念ができたのは明治のころ。
西洋から「Love」というものが「輸入」されてできました。
日本における「愛」の歴史はたかだか100年程度。
だから、愛の定義もわかっていないし、実際に腹にも落ちていないし、様々な解釈がなされるし、様々な使われ方をすると。
日本では、「愛している」という言葉自体、「愛」なのか「恋」なのか、はたまただたの「欲」なのかわからない状態でとらえられていたりもします。
いや、そもそも「愛している」ってあまり言いませんね。笑
結婚も昔は家と家をつなぐものという契約の意味あいが強く、
愛を貫き通そうとすると、家族から総すかんを食らったり、こそこそと駆け落ちしなければならなかったり。
制度的に「愛」が抑圧されている文化だったのですね。
そりゃ「愛」という概念が日本に定着しにくいわけです。
しかし、現代になり、純粋に「愛」を語り、貫くこともやりやすい時代になりました。
それでも、やはり結婚と(恋)愛は別物、ということもありますが、
まあこれは結婚に「愛」以外のものを、親や家ではなく、本人自身が多く求めるからですね。笑
さてみなさんは、パートナーに「愛」と何を求めますか?
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明日は大久保さんです。

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