『貧乏は危ない』

『貧乏は危ない』

こんにちは。のむらです。
今日は、いつものシリーズではありません。
RBCの話シリーズでもありません。
ちょっとセンセーショナルなタイトルかも知れませんが、
ここ最近感じるところです。
お金というのは、金融の仕組みが行き届いた経済圏においては、
とても大きな力を持つ道具です。
情緒や感情を大事にした時間にこういう話をすると
非常に好感度が下がるものですが、、、汗
しかし事実として、そのような側面があります。
例えば、ドラえもんのポケットから出てくるものが、
現金、クレジットカード、宝石、金塊、絵画や彫刻、
不動産の権利書、激レア切手やフィギュア
とかだったらどうでしょう?
これらが無尽蔵に出てくれば、おそらく、プロセスは違っても
どんな要望であれ、ある程度以上満たせると思います。(笑)
さらに、時としてはその情緒や感情もお金に変換されて取引されています。
ですから単純に、お金があればあるほど、
行動の選択肢が増えるということになります。
日本におけるここ10年くらいの言論では、
「お金じゃない幸せ」
というのが、
「ゆるやかな収入の低下」という傾向とセットで語られてきました。
もちろん、そのような言論に、一定のイデオロギー的な価値はあるでしょう。
しかしながら、現実的に、とりわけ若者世代の収入減という傾向に対して、
「こう言わざるを得ない」という部分があったのも事実でしょう。
ただ、これは前提条件があって、
「極端な外的変化は起こらない」
というものです。
お金をつかわずに楽しい日々を送っていて、
その日々の生活に必要な収入がギリギリで足りる。
これでも外的変化がさして起こらず、
先月とも先々月とも同じ環境下にいられれば、
問題はありません。
しかし、大きな災害などが起こると、
どっからどう見ても、そこから生活の拠点を移したほうが安全なのが、
事実です。
が、、、、、
生活の拠点を移すには、
ある程度自由になるお金があることが現実的には必要条件です。
※もしくは、換金性のある人脈や能力。
災害後なんかは、地域への愛着やアイデンティティが語られがちなのですが、
しかし、上述の「お金じゃない幸せ」原理主義と同じ構造で、
「生活拠点を移す力がないためにそう言わざるを得ない人」
というのは、実際にはそうとう多いんじゃないかと思います。
つまり、選択した結果というよりは、
「そう言うよりほかにない」
ということが「お金が無い」という条件下では起こってしまいます。
なので、お金があればいいなぁ、、という甘い話ではなくて、
「お金が無いというのは危険なんだ」
という認識を持つことが大事なのではないでしょうか?
もちろん、「お金がある」というのはひとつの結果であって、
その原因は、他者への貢献であり、生み出した感動であるので、
ひとりひとりがビジネスクリエーターとしてより活躍することに
委ねられているわけです。
RBCの役割は益々重要だと思う、今日この頃です。
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Nomura