こんにちは。小沢です。
先日、『シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略』を読む読書会に参加しました。
その読書会ではいくつかのグループに分かれ、ディスカッションを行うのですが、
同じグループに岡田斗司夫さんがいらっしゃいました。
そこで岡田さんが言っていたのは
「所有は労働である」
ということです。
これまではモノを所有することが豊かさのしるしとされてきましたが、
モノを所有するには
それを選ぶためにコストがかかり
それを持ち続けるためにコストがかかり
それを処分するためにもコストがかかる。
所有することはもはや快楽ではなく労働になっているのでは、
というようなことだったと思います。
そこで、登場してくるのが『シェア』です。
シェアすることは昔々からされていたのですが、
最近では所有することがあたりまえだと思われていたものが、シェアされ始めています。
たとえば、車は一昔前まで所有することが当たり前であり、ステイタスシンボルでした。
ところが、今はカーシェアリングが特別なことではなくなってきています。
モノも空間も情報もシェアする時代。
消費者は所有よりもシェアに価値を見出し、
シェアがビジネスになる時代です。
シェアすることにより、所有に比べコストは非常に小さくなります。
選択肢の幅も広がります。
エコでもあります。
そこで、ひとつ疑問。
「一体どこまでシェアできるのか?」
なんでもかんでもシェアできるのか?
車はできる。
部屋もできる。
鞄もできる。
では
恋人は?配偶者は?
シェアできますか?
ここまでくると大半の人は「NO」と答えるでしょう。
(法律上の問題はおいといて心理的な意味で。)
所有よりシェアに利点があることがわかっていても、できるものとできないものがある。
その線引きは何か。
ディスカッションの結果、
「それにアイデンティファイしているかどうか」
ということになりました。
つまり、モノであれ人であれ、それが自分の一部になってしまっていると、
それを所有することがアイデンティティにつながっていると、シェアはできないのではないか。
この答えが正しいかどうかはわかりませんが、そう考えるとシェアできるものの限界は見えてきそうです。
ただ昔に比べ、そもそもアイデンティティを見出すものが少しずつ変わってきているような気がします。
私としては、こちらのほうが興味深いテーマだったりしますが・・・。
実のある時間をシェアしたいという方はRBCにどうぞ!
明日は大久保さんです