『ビジネスクリエーターとして大切なことは全てサッカーから学んだ』-その46-

『ビジネスクリエーターとして大切なことは全てサッカーから学んだ』-その46-

こんにちは。のむらです。
引き続き、このシリーズです。
全国のサッカー経験者の方、また、サッカー小僧のご家族、ご友人の方に、
サッカーに打ち込むことで、ビジネスパーソンとしても一流になるための素養
が身につく、というご理解を頂ければ幸いです。
↓過去の記事↓
その1
その2
その3
その4
その5
その6
その7
その8
その9
その10
その11
その12
その13
その14
その15
その16
その17
その18
その19
その20
その21
その22
その23
その24
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その26
その27
その28
その29
その30
その31
その32
その33
その34
その35
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その37
その38
その39
その40
その41
その42
その43
その44
その45
↑過去の記事↑
■夢を与える■
高校時代の話です。
ひとつ上の先輩で、なかなか才能が開花しない方がいました。
小学校から中学校を有名クラブで過ごし、私と同じ高校に進みました。
地元を離れて、、、ということで、私も同じような環境でしたから、
一緒にご飯を食べていました。
その先輩は、そこそこ評価されているものの、主力になるには決め手に欠けました。
トップチームには帯同していたものの、高校3年生の夏休みは、
ついに監督から下のチームの練習に参加するように言われてしまいました。
元々、テクニシャンでプライドも高かったので、
とても悔しく感じたのではないかと思って見ていました。
実は私も、高校2年時の夏休みは、最もダメダメだった時期で、
地元に逃げ帰ろうかと、少しだけ思ってしまった時期でした。
そんな時、その先輩と練習で一緒になったのでした。
おそらく、心中穏やかではなかったでしょうが、
サボらずに毎日のトレーニングに励んでいました。
夏が終わった後、チームの戦術がガラっと変わりました。
コーチが1年生のアルゼンチン遠征に帯同したことから、
アルゼンチン式5-3-2を採用することになりました。
詳細は説明しませんが、超攻撃的な守備から、スピーディな試合をするような戦い方で、
ノックアウト方式が主流の高校サッカー界では、まず採用されなかった戦術です。
こうしてガラっと戦術が変わった時に、人一倍輝きを放っていたのが、
件の先輩でした。
短期間で、チームの攻撃を支えるエースになっていました。
このような様子を目の当たりにした人からすると、
たいへん勇気をもらい、夢を与えられたと思います。
これは小さな例かも知れませんが、
もっと一般的な例としては、
・三浦KAZU選手がブラジルでプロになった話や、イタリアに渡った話
・中田英寿氏がイタリアでスクデット獲得を経験したこと
・岡田武史監督が日本人監督としてワールドカップ決勝トーナメントを経験したこと
なんていう例もあったでしょう。
パイオニアといえるような実績に、自分の姿を投影する。
それは、夢を与えられたと言っても良いでしょう。
どんな夢もイメージすることからしか始まりませんが、
前例というのは、イメージを描く時の格好の材料となります。
立場を変えてみると、自分も、いつどんなところで誰に見られているか分かりません。
しかし、そうやって見られた自分が、見ている人に夢を与えられる存在でいられたら、
それに越したことはありません。
そして何より、自分が自分の未来を切り開いていくことが、
そのまま、他者に夢を与えることになる、と、諸先輩から学んできました。
有縁の方にとって、夢を与える存在たる
ビジネスクリエーターとして邁進していきます。
夢を描き、描かせる場として、RBCへの会員登録をどうぞ。
明日は友部くんです。

Nomura