『ビジネスクリエーターとして大切なことは全てサッカーから学んだ』?その10?

『ビジネスクリエーターとして大切なことは全てサッカーから学んだ』?その10?

こんにちは。のむらです。
引き続き、このシリーズです。
全国のサッカー経験者の方、また、サッカー小僧のご家族、ご友人の方に、
サッカーに打ち込むことで、ビジネスパーソンとしても一流になるための素養
が身につく、というご理解を頂ければ幸いです。
↓過去の記事↓
その1
その2
その3
その4
その5
その6
その7
その8
その9
↑過去の記事↑
■自分独自の強みを考えて成長する■
その2と似たようなお話ですが、
以前お話したのは、現時点での能力と貢献度に関することが中心でした。
もう少し、ビジネス寄りのお話になりますが、
・どこで?
・どんな強みを?
・誰のために?
という「3D成長戦略」とでも言いましょうか、
こういう視点をもって成長したいものです。
そう思わせる話があります。
自分の話ではなくて恐縮なのですが、、、2人の後輩を引き合いに出してみます。
現在、日本代表で活躍中のTくんと、
現在、某JFLのクラブのキャプテンを務めるYくん
高校時代、彼らは1つ下の代にいましたが、本当に素晴らしい選手でした。
特に、中学3年生の時のYくんを見たことで、私の選手生命が半年は縮んだ気がします。
(何でも努力した分だけ上達するとはいえ、1年間とかでは、
どう考えても彼を追い越せる気がしなかったのです)
さて、その2人の当時の評価はどうだったかといえば、
YくんはU-16(16歳以下の日本代表)でもU-18(18歳以下の日本代表)でも
レギュラーでした。
一方のTくんは、もちろん、素晴らしいポテンシャルを持っていましたが、
代表には選ばれませんでした。
彼自身は、当時、同じチームの同じ学年に2人も代表でレギュラーの選手がいたので、
それをそうとう意識していたそうです。(Yくんの他に、もうひとり代表のコがいました)
プロになってからのインタビューで話してました。
ユース年代の時には、Yくんのほうが、評価としては1枚上でした。
彼は、タイプ的にはジダンみたいな選手でしたね。
両足が高いレベルで自在につかえて、アイディアも素晴らしい。
そんな彼は進路として浦和を選びました。
当時の浦和は、日本サッカー史上でも技術的にはトップではないかと言える
小野選手がいました。
そうすると、かなり競合してしまいます。
監督から見て、どうしてもファーストチョイスにはなりにくいので、
ポテンシャルに対する出場機会は十分とは言えませんでした。
(また、彼の入団後、長谷部選手が入ってきたりもしました。
彼もまた、飛びぬけて素晴らしい選手でした。)
一方のTくんはというと、、、進路は柏にしました。
とはいえ、4年間くらいは、全然出てこなくて、何と、
さらに1つ後輩のMくんが柏に入団し、J初ゴールで先を越されてしまう始末。。
ただ、Tくんの特徴は、トップスピードでのドリブルで、
ドリブルの時にボールを置く位置がとても独特です。
ここに、彼のオンリーワンの部分がありました。
そして、プレイスタイルを変えることなく、カラダづくりをして、
5年目くらいで、時の監督に抜擢されたら、チーム得点王になりました。
これを、苦労話とかよくある成り上がりっぽいサクセスストーリにするのも
良いんですが、、、
ポイントは、彼がオンリーワンで居続けたことだと思います。
そして、オンリーワンの強みが生きる準備(カラダづくり)をしたことで、
最終的には大きな結果に繋がりました。
ビジネスにおいても、
「ニーズがある相手にとってのファーストチョイス」
かどうかによって、成果はまるで違います。
ファーストチョイスとなるためには、
オンリーワンの強みが生きる準備が必要でしょう。
そんなことをTくんから教わったと思います。
※今回、後輩というだけの理由でTくんとYくんを比較対象に
 してしまいましたが、どちらの選手も本当に素晴らしい選手です。
 アスリートは、「肉体」という要素が大きく関わってくるため、
 ビジネスで成功することとは比べ物にならないくらいシビアな
 世界だと思います。
 そういう意味では、2人の後輩をとても尊敬していますし、
 僭越ながら、たいへん誇らしくも思います。
 ぜひ、今後も多くの人々を感動させて欲しい、とエールを送って
 締め括りとします。
オンリーワンの強みを磨くには、
RBCへの会員登録をどうぞ。
明日は友部くんです。

Nomura