『雑草の如く逞しく』

『雑草の如く逞しく』

こんにちは。のむらです。
ことあるごとに思い出すのが、タイトルにもあるこの言葉。
「雑草の如く逞しく」
です。
今となっては体育会系の影も形も残っておりませんので、
意外に思われるかも知れませんが、私は基本的には体育会系です。
このコトバは、出身高校のキャッチフレーズです。
(華麗なテクニックが売りのサッカー部とは思えないフレーズですが。。。w)
たいていの人には、あるコミュニティへの強い帰属意識がありますが、
それは、自身の価値観の形成や信念の構築に対する影響度に
比例しているように思います。
その意味で、15?18歳の経験は、私の価値基準に対して強い影響がありました。
ビジネスパーソンとしての自分の発想や視点も、この時期に経験し、
学んだことと強烈に紐付いているように思います。
例えば、パッと思いつくだけでも、、、
・「そこそこ出来る」は「出来ない」とほぼ同じ意味である
・ルールを守れないのが愚人、ルールを守るのは凡人、ルールを利用するのが賢人
・やられっぱなしでスゴスゴ退散しない
・華麗でいるには、人知れずの準備が必要である
・早い者勝ち
・全ての結果は自分のやってきたこと以上でも以下でもない
・真似しているだけでは最後まで一番になれない
・声を出せない人は闘えない(闘い方を知らない)人である
・チャンスが来てから考えているようでは遅い
・ちょっとうまくいった時に自惚れるとロクなことが無い
・人に好かれた人が出世できる
・自分のいる場所の基準値が高いと急成長する
・実践の一部を切り取ったシミュレーションを練習と言う
 (目的を見失った練習は時間と体力の無駄である)
・人生における殆どの行動は究極的にはムダである。
 (とすれば、どのムダが自分にとって愛すべきムダであるか?が大切)
・ピンチになったら必死でリカバリ(ハートを見せる)
・攻撃と守備は二分法ではない。守備を目的とした攻撃、攻撃を目的とした守備もある
・常識に縛られず、常識を疑い、より効率的で効果的な方法を考えると、偉大な発明がある
・相手の逆をつく、裏をかくことが価値ある行動となる
・「出来るようになる」とは、「完全に習慣化した状態」である
・「凄い人」と対峙する人は「これが最後」と全力で挑んでくるので、油断すると足元をすくわれる
・時間は有限である。目標には賞味期限がある。
・ライバルは有難い存在である
・他人の足を引っ張ると、短期的には得かもしれないが、長期的には損をする
・アイコンタクトには、膨大なイメージの共有が必要であるが、それが出来た時の快感はものすごい
・楽しく遊ぶには技術と能力が必要である
・どんなに大変に思うこと、理不尽に感じることでも、やってみればそんなに大したことは無い
 (むしろ、ネタになる)
・最終的には人間性がモノを言うが、初期の段階でそんなこと言ってられるのは、目標が低いということ
・結果を出すのは最低限、加えて、他人に信頼されること(ブランド力)が、上に上がっていくには必要
・信頼されるにはポテンシャルを上げることが重要
・優れた戦略と意思統一された実行部隊が揃った時に、強いチームができる
てな感じのことを学んだと思います。
どなたかのパクリですが、、、(笑)
『ビジネスクリエーターとして必要なことは、全てピッチ上で覚えた』(仮)
てな本が書けそうです。
これ、機会があれば結構まじめに書いてみたいですね。
全国のサッカー経験者とその家族に読んで頂きたいです。
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Nomura