こんにちは。のむらです。
「ピーターの法則」というのがあります。
Wikipediaによると、
1.能力主義の階層社会では、人間は能力の極限まで出世する。したがって、有能な平(ひら)構成員は、無能な中間管理職になる。
2.時が経つにつれて、人間はみな出世していく。無能な平構成員は、そのまま平構成員の地位に落ち着く。また、有能な平構成員は無能な中間管理職の地位に落ち着く。その結果、各階層は、無能な人間で埋め尽くされる。
3.その組織の仕事は、まだ出世の余地のある人間によって遂行される。
と、説明されています。
会社で考えると、離職率の低い会社はけっこうこの通りになっていると思います。
ですので、新規参入して競争するのであれば、
上記の法則が顕在化しまくっているような、
いわゆる大学生の人気ランキングの上位にいるようなぬくぬしした大企業が
幅を利かせている分野が良いように思います。
とはいえ、ピーターの法則はまだ若干性善説なところがあって、
有能だった人間が時間とともに無能化する
という現象については説明ができていないところがあります。
私が新卒で入った会社はいわゆる大企業でした。
毎年500人という規模で新卒入社の社員が入っていましたが、
それなりにポテンシャルの高い人材が採用できていたように思います。
そんな新卒社員が他社からどう評価されていたかというと、
時の上司が言うには
「毎年良い大学から良い人材が取れていますね。
ただ、3年もすると普通の人になっちゃいますよね。」
という評判だったそうです。
確かに、今になってみればよくわかるといいますが、
入社前の内定者の時点では、それなりに個性的で尖っていた人材も、
(たいがい、そのまま尖っている人材は辞めていきますが)
10年もいればずいぶんと丸くなっています。
悪く言えば、どこにでもいる退屈な人材になりました。
しかし、普通に考えれば、経験を積んで、能力が上がったとしたら、
さらにその先に考えることや手間をかけるといったことを追加する余力が出るので、
仕事の基準は高くなりそうなものです。
それが、実際にはそうならないことがある。
この事象の背景を考えてみると、
「小さな妥協の蓄積」
がそこにはあるように思います。
「ゆでガエル」という言葉もありますけど、
「ゆでガエル」というと、外部要因もあるようなイメージがありますが、
それよりももっと大きなことは、
日々、小さな妥協をすることで、それが当たり前になる。
次の日にさらに小さな妥協をするとさらにそれが当たり前になる、
と、なんと、毎日毎日仕事の基準が少しずつ下がっていく、
という話です。
ただ、色々なひとを観察していて思いますが、
意外とこうやってある種の自殺をしているビジネスパーソンは意外に多いと思います。
現状維持すらできないわけですから、
日々、少しずつでも挑戦を繰り返しているような人と差がついてしまうのも頷けます。
仕事の基準は一度下げたら上げるのが難しいので、
まずは下げないということが必要であって、
さらに、少しずつでも仕事の基準を上げるようにすることで、
その人の能力は上がります。
実は、仕事を変えると仮に仕事のできが良かったとしても、
それは自分の能力が上がったからなのか、
仕事が変わったせいでそう見えたのかが分かりません。
ということで、
ひとつやふたつで良いとは思いますが、
自分の筋トレのために、同じ仕事をやり続けてみるというのは手ですね。
同じことをやっていて、進歩がないとしたら、
それはやる側の能力が上がっていない、
仕事の基準を上げずに時間が過ぎてきた、ということの現れです。
また、トレーナーとしての役割がある人の場合に大事なことは、
仕事の基準を下げないことが第一で、
できれば、少しずつ仕事の基準を上げていくことですね。
仕事の基準というのは筋トレの時のウェイトみたいなものですね。
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明日はひらたくんです。