こんにちは。のむらです。
今日は、いつものシリーズではありません。
RBCの話シリーズでもありません。
色々なところにある
「だから」
というのは、けっこう無意識的な隷属を生み出していると思います。
例えば、
「みんなが共感することだから良いことに違いない」
「合理的なのだから正しいのだろう」
このような構造の意見はとても多く、
そして、多くの人が無意識的に支持しています。
しかし、この例はどちらも話が飛躍しています。
「みんなが共感する」というのは事象であり統計的な傾向です。
それに対して「良い」というのは価値判断であって、全く別の話です。
「合理的である」というのも、ある評価軸で事象を見た時の傾向です。
それに対して「正しい」というのは価値判断であって、全く別の話です。
どちらも「だから」を「だが」に変えることが、
原理上は可能です。
「みんなが共感することだが良くないことのようだ」
「合理的なのだが正しくないだろう」
人が生きる時には、緻密に観測したり計測した事象を認知するよりも、
なんだかよくわからないけど信じる
ということのほうが圧倒的に多いです。
そもそも、人は必ず死にます。
しかも、死は「今」にしかやってこないのですが、
それでも明日の予定を立て、来月の予定を立てます。
なんだかよく分からないけど信じる
ということがたくさん集まって、私たちの日常があります。
そんなわけで、
「だから」
と言いながらも、トンデモな信仰でしかないことは
多々あるわけです。
そういった無意識的な隷属というのに自覚的になっていくと、
被害者意識みたいなものもあまりなくなってきますし、
けっこう穏やかに生きていけます。
なので、けっこうお勧めだと思っています。
ちなみに、よく「自分の頭で考える」ということが
本やセミナーなんかで出てきたりします。
「自分の頭で考える」とは、つまりどういうことか?
というツッコミが少ないのが既に無意識的な隷属じゃないかと
言えなくもないのですが、
上述の話で言えば
「だから」をスルーしないで複数の可能性を挙げること
だと、私ならそう言うと思います。
無意識的に信じてる「だから」がありませんか?
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明日は樋口くんです。