こんにちは。小沢です。 シカゴから帰ってくると、シカゴのどこがよかったのかとよく聞かれます。 町並み、ミュージアム、現地で出会った人々など色々あるとは思うのですが、 一番良かったのは 「無駄に視線を感じなかったこと」 です。 というのも、シカゴ美術館に行ったときに、なんとなく視線を感じてそちらを見ると、 日本人の女の子がいたんですね。 そして、はっと気づいたんです。 他人をちらちら気にして見ているのは日本人だけだと。笑 日本だと毎日いろんな方向から視線を感じます。 それもじっとみるのではなく、「ちら見」の視線。 好奇心でみているというより、警戒のちら見なのか、もはやただの癖なのか。 特に、東京で電車に乗り込んだ瞬間に特に感じたりしますね。 いっせいにみんながちら見。笑 それがシカゴで、かなり人の多いところに行ってもあまり感じないんですよね。 日本人だから悪目立ちはしていたと思うのですが、むしろ、なんじゃこいつら的な好奇の目でみられてはいたと 思うのですが、 少なくとも、目線が一切あわないように見られる「ちら見」は感じませんでした。 シカゴで「ちら見」を感じたのは、唯一その日本人の女の子からだけでした。 その「ちら見」がごく当たり前に無い空間というのは、すごく居心地がいいなぁとシカゴにいって数日 たってから気づいたものです。 あの日本人特有の、他者を警戒するような目つきは、とても湿度が高く、正直嫌な感じです。 視線を感じて、こちらも見ると、さっと目線をそらす。 こちらも見るのをやめると、また、ちら見の視線を感じる。笑 特に東京の人はこれがひどい気がします。 警戒心が強いのか、恥ずかしがりやなのか。 他人を気にしすぎ、他人からの視線を気にしすぎ。 あたなに他人はそんなに興味ないって、 たとえ少々鼻毛がでててもいいじゃない、と伝えたいです。 いや、よくないか。 でも私も知らず知らずのうちにやっているんでしょうね。 というわけで、今日は自分の視線を気にしながら歩いてみました。 自分で思っているよりも、他人を見ていました。笑 これからはどうせ見るなら、堂々と笑顔でにこにこ見つめたいと思います。 見つめられていた人が思わず微笑み返してくれたら最高ですね。笑 明日は大久保さんです。