隗より始めよ、隗でなければ始まらない(故事)「戦国策」の改

隗より始めよ、隗でなければ始まらない(故事)「戦国策」の改

友部です。
くちにすることの重要さを、最近実感している。
中国由来の故事から生まれた言葉に、
「隗より始めよ(かいよりはじめよ)」というものがある。
千里馬の調達に工夫をして、上手く集めた優秀な人物である郭隗が、
「王がもし、優れた人物を招聘したいとお望みであるならば、
まず、この私、郭隗よりお始めください」
と、発したことに因る言葉だ。
手近なものから始めよ」という意味から、
それが転じて「言い出した者から始めよ」という意味で使わている。
「隗より始めよ」とは、
何かを始めさせたい主体に対する、提言だと思うが、
いっぽうで、
何かを始めたい主体に対しては、
「隗でなければ(にならなければ)始まらない」と言いたい。
特にオペレーションの効率が重視される職場環境においては、そうだ。
ともすれば、会社という組織により、
・仕事内容を管理され
・仕事形式を管理され
・仕事進捗を管理され
それは、マネジメントと呼ばれたり、ナレッジ集約と呼ばれたり 、業務効率化と呼ばれる。
聞こえがいいのは、主体の会社組織側に自分の立場を立脚させた時である。
客体の個人として、別の角度から立脚すると、
被言動管理であり、知識供出であり、基本行為トレースである。
効率化の組織への対価は、個人への退化になりかねない。
何も、マネジメント、ナレッジ集約、業務効率化に協力するな、ということではない。
自己主張をしないと、個性や個人が、埋没してしまうので、
言う事により、何をしたいと考えているかを、認識させる必要がある、そういうことだ。
意志の発信は忘れすにしていくことを、私は、推したい。
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明日は樋口くんです。

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