『RBCの変化』

『RBCの変化』

こんにちは。のむらです。
今日も、いつものシリーズではありません。
前回は、RBCのちょっと先の話をしました。
今度は、少し、今までの変化を振り返ってみたいと思います。
先日、満木さんから卒業のご挨拶もありましたが、
スタッフとして登場したのが2007年1月でした。
最初の勉強会は2006年11月の時に来られたと記憶しています。
(勉強会が終わるや否や、凄い勢いでRBCそのものについて聞きに来られたのが印象的でした。笑)
ほぼ同じ時期には樋口くんもスタッフになっていますが、
彼は、2006年1月の勉強会で、一番前の真ん中に座っていたのを覚えています。
と、、こういう話をし始めるとキリが無いのですが、
既に、RBCの立ち上げ時期を見ているメンバーは私しかいません。
先日、ひょんなことから、RBCスタッフの体制とかメンバーとかを振り返る機会があったのですが、
私の最初の立場は「広報部員」でした。
ちなみに、現在のRBCの運営体制は、以下のようになっています。
■現在の体制■
(事業部) (広報部) (総務部) (代表)
※全てのスタッフは最低1つの部署に所属する
※各部署にはリーダーたる部長がいる
この体制は、2006年の6月に私が代表になってから、変わっていません。
その前はというと、、、
■2005年度の体制■
事務局長━━━━━━Planning Division
               ┗━Strategy
               ┗━Contents
               ┗━HR
   ┗━副事務局長━PR Division
               ┗━PR
               ┗━IT
   ┗━副事務局長━GA
               ┗━総務
               ┗━会計
カッコいい体制ですが、役割が分かれすぎていて、
全体としては動きが遅くなりました。
もちろん、体制が悪いと一概には言えず、
単に、運用者たる我々に実力がなかったというだけかも知れません。
ちなみに、この時代の体制を知る人は既に村上くんしか残っていないような。。。汗
私はPlanningDivisionにいました。
この時PlanningDivisionにて、現在のRBCの核となるルール作りや仕組み化は、
もの凄く検討されました。
現在に残っているものもありますが、無くなったものも数多くあります。
ここでのトライ&エラー、シミュレーションの数々が、かなりの貯金を生んでいる気がします。
その意味で、集中的に徹底的に頭をつかうことになった当時の体制が、
時期的には必要なものだったとも思えます。
実際、団体の理念である「ビジネスクリエーターの輩出」であり、
「ビジネスクリエーターの定義」は、2005年度に定まりました。
また、RBCの会員ナンバー1番でもある敏腕コンサルタントNさんには、
多大なアドバイスを頂きました。とても有難いです。
(一応、名簿上は会員登録の早い順に番号が振ってあるのです。)
■2004年の体制■
事務局長
  ┗副事務局長
  ┗副事務局長
企画
広報
総務
本当に設立のタイミングでは「渉外」というのができそうになりましたが、
不要ということでなくなりました。
「渉外」という響きというか発想というかが、学生団体っぽかったですね。。。笑
※2004年卒の人たちによる2004年の4月設立なので、
 当然、構想をしていたのは学生だけだったので、そうなるわけです。
ちなみに、この時の私は広報部員でした。部長でもなかったです。ヒラです。笑
この時の体制は、驚くほど機能していなかったと思います。笑
とはいえ、勉強会をやり始めるよりも先に決めていたので、それでちょうど良いと思います。
また、とりあえずやり始めてみたことで、課題も見えたので、
考えてから走るよりも、走ってみて考えたほうが結果的には効率的だったと感じています。
という意味で、
「何だかよく分からないけど動いてみた」
という当時のメンバーは、とても重要な役割を果たしたと言えるでしょう。
個人的には、広報部員だったのですが、何をしていたかといえば、
モチベーションの上がらない人のフォローをひたすらやっていた気がします。
今にして振り返ると、何という無駄なことをしていたのか、、、と思いますが、
この時の苦労のおかげで、今は固く守っていることがあります。
それは、誰かに対して
「RBCのスタッフになってください」
というお願いを絶対にしないこと
です。
結局、モチベーションが問題になるのは、
「他人が敷いたレールの上を走らされている」
という時だと分かりました。
当時の私は、「せっかく集まったんだから」という思考だったのですが、
この思考が生産的な結果を生み出すことはありませんでした。
※その後も何度か個人的にはそれに近い失敗をしたのですが、
 既に完全に仕組み化された会社なら良いのですが、
 主体的に考えて動く必要のある組織においては、
 やはり自立性というのは最重要でした。
 自分で決めずに参加すると、ここぞというところで他者に依存しようとしてしまいます。
とはいえ、何とか1年間勉強会を続けることはできましたので、
何だかんだでやはり、やり始めたこと、何とかして続けたこと、
これは当時のスタッフが残した貴重な実績です。
と、体制からRBCを見ると、これだけの変化がありました。
まだまだやりたいことは色々とあります。
今後も走りながら考えたいと思います。
一緒に走りながら考える方は、RBCへの会員登録をどうぞ。
明日は友部くんです。

Nomura